彼女の第一印象は、『すごくいやなやつ』だった。

 
 
 
 
物心ついたときから、自分の世界であった訓練所。そこで生き残るためには、強くなるしかなかった。強くあることが、命を繋ぐことだった。

「なのに……どうして私、こんなところに……」

ピエナはつぶやく。

アザハイド帝国領南西部外区、森林地帯。

森の入り口に立っているだけだというのに、ひどい障気で、気配を感じるどころか方向感覚が狂わされる。嫌な汗がにじむ。鬱蒼と茂り、特徴に乏しい樹林は、さながら緑魔と呼ぶべき異様な生態だった。毒草だって生えているだろうし、障気の向こうには何者かの息づく気配がおぼろげにある。迂闊に足を踏み入れれば、生還は難しいだろう。

「再試験、なのよね……? でも、こんなところで、どんな試験を……」
「……それは今から説明する」

慌てて振り向く。
音もなく背後に現れたことに、まず驚いた。
その次に、彼女が美しかったことに驚いた。
おそらくは防御魔法のかけられた胴衣から、しなやかで引き締まった手足が伸びている。左手には珍しい形状の剣、右肩には死体でも入っていそうな大きさのバックパック。こめかみの少し上に猫科のそれに似た耳があり、体の各部が金色の体毛に覆われ、同じ色の髪が三つ編みに結われていた。
その三つ編みの先端あたり……ちょうど尻のところから伸びた尻尾がぴょこりと動く。

「あっ……」
「……珍しいか、私のような存在が」
「い、いえっ、ただ……」
「ただ、なんだ?」
「…………」
(……言えない。ただ、可愛いな、と思ったなんて……)

状況からして上官である彼女に対し、そんなことを思った理由を説明する自信はないし、なにより獣人の硬質で威圧気味の物言いが、説明するつもりと好印象とを、まとめて吹き飛ばした。もう、ピエナの中で、目の前の獣人は嫌なやつでしかなかった。
物言いたげな沈黙に、耳と尻尾、獣の体毛を持つ彼女はため息ともつかぬ息を吐く。

「ガーランド・ガード所属、マシェロット・トリチェッタ大尉だ。33番、今日は私がお前の試験官を務める」
「が、ガーランド……!?」

アザハイド帝国最精鋭部隊、ガーランド・ガード。帝国において、その名は最強の代名詞だ。訓練生であるピエナにとって、眼前にたたずむ彼女は雲上の住人であった。

「お、お願いしますっ! 私はピエ……」
「必要ない」
「え……?」
「訓練所の試験にさえ落第するようなやつはすぐに死ぬ。名前など覚えるだけ無駄だ」
「っ……」
「わかっているな、33番。自分が何故、ここにいるか」
「っ……はい……先日の、技能試験の点数が悪かったためです」
「言葉は正しく使え。あれは『悪かった』ではなく、『最悪』だ」
「…………」

呻くことさえできなかった。その日の体調はそれこそ最悪で、試験時間以外はトイレさえ行けずベッドの中で死んでいた。二本足で立っていたのは試験時間だけで、それさえも気を失って脱落する体たらく。あるいはそれは体調不良でなく、ライバルを減らしたいと思う誰かに毒でも盛られたのかもわからない。言うまでもなく『性能』がすべての世の中だ。上位何名が安全圏なんてものはなく、合格者不在のシーズンも多い。それでも安易な思考を行動に移す輩は後を絶たないという。
だが、泣き言など通用しない。体調管理はできたやつが偉いのではなくできないやつが悪いのだ。毒は盛ったやつがずるいのではなく入れられたやつが間抜けなのだ。なにより、体調が万全なら合格した、などとは口が裂けても言えない。
悔しいけれどそれが今の自分の『性能』であることを、ピエナは認識していた。

「最悪なお前に一度だけ確認する機会をやる。お前をここへ呼び出したのは再試験のためだ。これから私が出す課題をクリアすれば、先日の試験結果はリライトされ、お前は次のカリキュラムに進むことができる。だが、落ちればそこまで。わかったか」
「課題って……どんなことするんですか。こんな森で……」
「鬼ごっこだ」
「鬼ごっこ……ですか……?」

あくまでも厳然と、マシェロットが自らの髪に手を伸ばす。三つ編みにされた淡い金色、その先端で、オレンジ色のリボンが湿気た風に揺れる。

「この森全部が舞台だから、お前の感覚では、隠れんぼと言った方が近いかもしれないな。ただし、どちらが鬼、ということはない。お互いが身を潜め、隠れながら、不意打ちでも罠にかけてでもいい。殺しても構わない。これから40時間のうちに、どんな手段を使おうとも、私のこのリボンをほどけば合格だ」
「よっ、40時間って、この森でですか!? そんな、私、何の準備も……」
「私だって準備などしていない。それにお前は潜入した敵地で、『準備が整ってないから待ってください』と頼むつもりか?」
「う……」

まったくの正論だ。実戦を想定しないテストで良い成績を収めても、それはテストに過ぎない。これは実戦なのだ。それでも自然、目玉はマシェロットの背負う巨大なバックパックを追う。中身が何かは知らないが、ガーランド・ガードの実力にあれだけの道具があれば、テントどころかコテージだって造れるに違いない。それにしても、どの口が準備をしていないなんて厚顔無恥を垂れるのだろうか。つくづく嫌なやつだと思う。

「どうした。言いたいことがありそうだな」
「……いえ……なにも、ありません……」

わかっているのだ。試験とは落とすためにあるもので、彼女の言葉はすべて正しいのだと。

「ならばいい。森の中には魔物もいるが、軍当局が先日行った掃討作戦の結果、残っているのはザコだけだ。油断しなければ死ぬことはないだろう。武器は持っているか?」
「……はい」

何を準備しろとも言われなかったが、それだけは持ってきていた。着慣れ、履き慣れ、使い慣れた戦術装備に二本の刃。しかし、野戦装備ではないのだ。これほどの森の中では、寝間着に帯剣したのとどれほどの違いがあるだろうか。

「では、最後にハンデの説明だ。これから40時間のうちに、私は20回、お前を捕まえる。それができなければ私の負け。捕まる回数が19回以下で40時間逃げ切るか、リボンをほどけばお前の勝ちだ。長居が嫌なら20回捕まるか、ただ1度、私を捕まえればいい。理解したか?」
「はい」

それは……正直、ありがたかった。40時間、この広大な森で誰か1人を探すなど、悪夢かさもなくば冗談だ。この条件なら少なくとも、大尉が森を抜けてサボるということはないだろうし、最悪でも2時間に1回の割合で、彼女の方から自分を発見してくれる。罠を張って待つこともできるし、もちろんこちらから探し出して襲撃することも可能。あまり実力差があるようならば、逃げを打つのも戦略のひとつだ。これだけ広大で深い森だ、簡単には見つかるまい。

「開始は30分後、それまで私はここにいる。罠を張るなり逃げるなり、好きにしてみろ」

ピエナの再試験が始まった。


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